流行とコンサバと。
前回の続き。
何でコンサバ万歳になるのか?
それがどうコーディネートに影響するのか?
キーワードは「流行至上主義=自分の身体の否認」
ということでした。
まず、前提として女の人の場合、
「オシャレ」「美人」「高級感」
はひとつながりになっていると思う。要するに
「貧乏臭いけどオシャレ」とか
「すっぴんだけど高級感がある」
という概念を女の人はそもそも持って無い。
「痩せている」はすぐにどうこう出来ない問題であり、個人差が激しいのでとりあえず除外されることが多いと思う。
これのどこかに自信がない場合、
上記3つを無効にする、もしくは対等にするカードとして「流行」「コンサバ」があるのではないか。
痩せすぎなのにもっと痩せるのを求めるのは病気だが、「流行を追いすぎ」は不思議と病気にはならない。
だから、とりあえず「オシャレ」の担保としてとりあえず流行モノを買う、
コンサバで上記の「高級感」を担保する、
という風になり、
あとはもっとも幅広い解釈があるアンド難しい「美人」についてのモノや体験だけを宣伝すればいい。
化粧品やヘアアレンジ始め、様々なシチュエーションも結局「美人」に見られるためのものである。
だから、女の人にとってどうしてもある程度のレベルの「流行」と「コンサバ」はキープしておきたいのではないか。嫌味になるくらいやると「美人」を脅かすのでそこそこに。
女の人が流行がこんなに強いか、ということについては、自分の身体性を無効にしつつ好きなものを身につけたいから。
好きなものを身に付けるのがオシャレだと思っているし個性を求めるから。
「別に好きじゃないけど自分の体型とのバランスを取るためにとりあえず身につけている」
という概念が多分あまりない。
実際はそれはやらないといけないんだけど、体型のせいで好きじゃないものを身に付けるのが嫌だから、流行のコーディネートが隠れ蓑になる。
その結果自分の好きなものを無理やりねじ込むことが可能になる。
自分の身体に合ったものを着ることで生まれる匿名性、単純なデザインとしての美しさというものが多分理解できない。
単純に「いい身体」で「体型に合っているものを身につけている」のはオシャレ、という概念が無い。
ていうか自分の身体に自信が持てないから、そんなものはないと思っている。
だから、女の人は本当の意味で「シンプルなオシャレ」はできないと思う。
それができるのは外人さんだけだと思っている。
だから、化粧っ気がなく、ベーシックなものしか着てないのにめちゃくちゃ美人な外人さん、が憧れなんじゃないか。
そんな感じで「流行」と「コンサバ」は「何も考えずに自分の好きなものを身につけられる」隠れ蓑として機能しているのではないか。
という話。
言い換えると好きなものを身につけたいけど「オシャレ」「高級感」を担保したいがために「コンサバ」で「流行」をベースにしているのではないか、という事。
結局、自分の身体に合わせてデザインを作りたいのではなく、「好きなものを身につけたい」が強いからなのだと思う。
そのため、コンサバなOL靴に無理矢理流行のテイストをぶち込んだような靴とかが売ってるのだと思う。
オシャレするのにカワイイものやカッコいいものを身に付ける必要は全く無いのに。
女の人って本当におしゃれ?
女の人って一般的におしゃれと言われていますが、実際どうなんでしょう。
以下妻の意見ですが、自分も概ね同意。
最近のインスタとかに載っているおしゃれママ達は、OLみたいな「これから仕事行くんですか?」みたいなコンサバな格好に、
コンバースとかアディダスとかLLビーンのトートとかやたらとカジュアル・ナチュラル系のものを合わせて、それでおしゃれ気取ってるけど、流行りだからかもしれないけど、なんでその格好にそれを合わすの?ってのが多い。
コンサバはどこかに化繊のものが入るけど、
そこに妙にナチュラル・カジュアルなアイテムが入るのはおかしい。
いくら何でも組み合わせにセンスがなさすぎるしスタイルが悪く見えすぎるしダサい。
コンサバはコンサバ、ナチュラルはナチュラルで統一した方がまだマシなのに。
今までLLビーンなんか見向きもしなかったくせに流行りだからって調子こいて侵食してくんなよ。という意見。
ちなみに妻は元オリーブ少女。
服飾専門学校に通っていて、昔から古着とか着ていたタイプ。
これは、僕が思うにレディースにはメンズにはない要素として強い「コンサバ信仰」「流行至上主義=自分の身体の否認」があります。
これは緩やかにメンズにも入り込んできている。要するに、テンプレしか意識にのぼらず、「自分の身体に合わせる」という意識が希薄になっている。
自分もレディースはオシャレをするイコール「コンサバな服を着ること」になっている気がします。
「コンサバな服を着こなすことがモテ、美人の条件」という風潮がずっとある。アラサー・ミセス向けも基本的にこれ。
あるレディースのファッションブロガーの
「年取ったら綿とか麻とかナチュラルな素材のものばかり着ているのはダメ。どこかに化繊のものを入れないと高級感がなくなるからオシャレに見えない」という意見からは強いコンサバ信仰を感じます。
メンズはあんまり「コンサバ」とか言わないし、雑誌の見出しにもあまりなりませんよね。
叩かれるのを承知で言うと、
本来、コンサバは「年端もいかない若い子」しか似合わない。
日本人は顔が童顔だからまだいいのだけど、基本的にぱっと見で「年齢不詳」系の人しか似合わない。それ以外の人はひたすら若作りをしていくしかない。特に地味な顔だとそう。
だから化粧を濃くするしかない。あと太ると完璧にアウト。
みんなが着てるからわかりにくい&無視されてるけど、実はそもそも日本で言ってるコンサバって実はかっちりしすぎてて「浮く」&「寸足らず」に見える格好だと思う。
本来的なスタイルを良く見せることを日本人女性の多くが意識してるにもかかわらず。
(ちなみに男のスーツはこの逆。痩せてる若い時は似合わなくてちょっと年齢が上がって少し肉がついてきた方が似合う。限度はもちろんあるけど)
女の人の中ではコンサバ=オシャレな認識なのは間違いないとしても、冒頭のコンサバとカジュアルの下手くそなミックスについては、
流行りであること以前に、日本人女性は本当はコンサバに憧れてコンサバ100パーセントがやりたいけど、スタイルが欧米人と違ってコンサバだけだと着こなせないから、適当にカジュアル要素を入れて誤魔化さないといけない、みたいのもあるかもしれない。
そんな感じで外人さんがコンサバとカジュアルをミックスするのとはまた違う文脈でミックスしてるのでは。
まあ、そのくらい細かい事を言うと一人一人の意識の問題になってくるので、置いておく。
ちなみに唯一日本人女性が着て様になる(=体型がどんなに欧米人からかけ離れていても許されている)コンサバは「制服」である。
では何でコンサバ万歳になるのか?
それがどうコーディネートに影響するのか?
キーワードは「流行至上主義=自分の身体の否認」です。
次回に続きます。
合わせやすいとされているものだけでコーデは組めない
最初に断っておくと、
「デザインが凝っている」アイテムを使え、
という事ではない。
例えば、普通のシャツなんだけど胸ポケットだけウールの毛糸編み編みで出来てるとか、
パンツの裾にジッパーが付いてるとか、
デニムジャケットの裾がボロボロに加工してあるとか、
白スニーカーなんだけどよく見るとカラフルな水玉が散りばめられているとか、
カーディガンの淵に刺繍とかラインストーンが付いてるとか。
胸にクソでかいブランドロゴが付いてるとか。
これらは、無駄に手を加えただけのものである。素人目に一見オシャレっぽい人っぽく見えるだけのもの。
別に装飾がしてあるのが悪いというわけではないが、ただ「過剰」なもの。
だから何?って感じの。表面だけの。
あえて過剰とかいらないから。
古いから。そういうの。
ここで言ってるのは、
上で言ってるのと違いが分かりにくいかもしれないが、
そもそも似合う人を選ぶアイテムのこと。
何かを過剰にしたんじゃなくて、元からそういうデザインで形のもの。
色が派手だったり、
すごい丈が中途半端であったり、
バランスやシルエットが極端だったり
そもそもジャンルがニュートラルではなかったり、
見る人が見たら「変」に感じるもの。
いわゆる「普通の人は何となくで絶対選ばない」類のもの。
これらをその人のセンスと経験と好みで上手く取り入れて似合っているとすごいオシャレに見える。
そのアイテムも、流行ってしまうと、上手くバランスの中で取り入れられてなくて似合ってなくて、明らかに失敗してるのに、みんな当たり前の様な顔をして身につけてしまうので、この辺がただそのテンプレが似合うタイプだったりしてボヤけてしまうのだが。
ちょっと前なら春夏にニット帽を浅くかぶるのとかつば広ハットとかもこのパターン。
これらは全身テンプレの格好をしてると分かりにくいかもしれないが、流行から外れた格好をさせるとすぐ付け焼き刃のやつはすぐばれる。
「本来の用途と違うもの」をミックスする、というのもこの部類に入る。
最近はミックスするのが当たり前、
またヒップホップなど、そもそもスポーツミックスが含まれていたりするなど
流行りのテンプレにすでにミックス要素が含まれていたりするので、本当に自分で考えてやってるのか分かりにくいが、要するに全身同じテイストでまとめて、ひとつひとつが定番のハズレなしアイテムみたいので固めるのは実はオシャレに見えないということ。学生っぽくなりすぎ。
で、これが入らない、本当にニュートラルなものだけで組んでいる場合は、
髪型と顔でこれをやっている事がほとんど。
1番わかりやすいのは髪型とヒゲと顔を外人のマネをすること。
元々外人顔だったり、(整形は外人顔にはならない)ヒゲを生やすとか、髪型をパーマにするとか。やり方は色々。イケメン不細工関係ない。
ダサい、と言われる人の多くはニュートラルな格好+外人要素がないパターンだと思う。本来外人じゃないとしっくりこない格好を日本人顔とサラリーマンの髪型と日本人体型でやるから。
これをギリで回避するテンプレとして日本人顔の場合、日焼け+横刈り上げとかの成金ヤンキーエグザイル系のやつがある。
何もしないよりは一応誤魔化せやすい。
でかいポニーのロゴのラルフローレンのポロシャツとか成金系も普通のサラリーマン系の人も両方着るでしょ。どっちも同じ。
あれ着るタイプの人ってオシャレ外人の要素がない。
何しろ、普通のサラリーマンの髪型+日本人顔で似合うのはスーツ、もしくは雑誌のモテファッション特集とか、レデイースの1週間コーデの「彼氏とデート」に出てくる人みたいな、あまり印象に残らない無難な「きれい目」ファッションだけ。要するにスーツの延長。
業界的にはいかにこれらの人達に休日に流行の格好をさせるか、が勝負。
だからユニクロの広告とか初心者向けっぽいオシャレ指南記事とかだと、お坊ちゃんみたいな髪型のやや薄い顔のスタイルだけいいモデルにMAー1着せたり、つば広ハットかぶせたり、
清潔感(肌がキレイ・痩せたスリム体型・フサフサの髪の毛)と流行のアイテムを取り入れれば、あなたはあなたのままでオシャレできまっせ!というアピールをする必要がある。
そうしないとサービスや商品が売れない。
普通のサラリーマンは
こういう髪型とかヒゲ出来ないでしょ。
この髪型とヒゲで太ってなければニュートラルな格好。例えば白Tとパーカーとジーパンにスニーカーとかで普通にオシャレに見える。
だから店員さんとかはまず髪型とかヒゲとかを外人っぽくしてる人多い。
最近なら一般の人でやってるのはサングラス。
本当は人それぞれ「今」「その人に似合うアイテム」を知る必要がある。
若い頃にたまたま他の人に「似合う」と言われたものが似合わなくなることもある。
そういうアイテムを軸にコーデをするか、
さもなくばさっき言ったように顔と髪型をおしゃれ外人風にするしかない。
単純に「定番モノ」を着ればオシャレになるわけではない。
そう謳っているのは広告だけだという事ということに早く気付いて欲しい。
元ネタはすでに出尽くしている2
流行について自分の分かる範囲で
もう少し補足します。
基本的に流行というのは20年前のものがまた流行る、というサイクルらしいですが
最近はどんどん速くなっていると言われています。
1番初めに若者文化としてリバイバルが起きたのは70年代のこと。
つまり、70年代には50年代、いわゆるフィフティーズのリバイバルがあったのです。
70年代のイギリスの音楽番組とかの映像を見ると、格好も音楽もオールディーズを意識した有象無象のバンドがたくさん存在していた事がわかります。
エルビスのそっくりさんみたいなバンドとか、いわゆるどベタなテンプレみたいな単純な曲の、「昔ながらのロックンロールバンド」を戯画化したようなイメージのバンドがやたらと多い。しかしパンツは中途半端な丈でフレアしており、足元はみんな何故かスニーカー。 この辺が70年代。
50年代はそこまでスニーカーは一般的じゃなかったはず。
で、2016年時点で今の流行は「80年代〜90年代前半」です。
ちょっと前まで「80年代コーデ」が旬!
とか言われてたのですが、この辺がサイクルが早くなっていると言われる所以でしょうか。
今の流行は、
80年代の流行は据え置きに、90年代前半に流行ったものでいけそうなやつをどんどん広告して、市場に投入してみて、イマイチそうならすぐ引っ込める、というやり方をしています。
ストーンズの83年の「アンダーカバーオブ・ザ・ナイト」のビデオのミック・ジャガーの服装はバランスは今より野暮ったいですが完全に最近の流行と同じアイテムです。
バンドカラーシャツにトレーニングパンツ、スニーカーにMA-1じゃないけど似ているバランスのブルゾン。
あと、オールドスクールのヒップホップは言わずもがなですね。
ケミカルウォッシュとかもわかりやすかったですね。
最近流行らせようとしているのが顕著な90年代モノとしては、とりあえず自分がわかるものだと
ニルヴァーナT、チョーカーとか黒レースのスケスケのスカート重ね着みたいのはネオ・パンクあたり。
ノームコアの次と言われたタッキーはおそらく90年代のバナルファッションと同じだけど取り入れにくいのでスルーされましたね。
あと、ちょっと前から特にギャル系中心に70年代風のウエストコースト風なフリンジとかスウェード素材とか土っぽいファッションが流行ってますが、90年代は70年代のリバイバルがあったので実はこれも90年代リバイバルのひとつ。最近わりと流行ったサッシュベルトも90年代流行った70年代ファッション。
レニークラヴィッツとか流行りましたよね。
言ってみればグランジもちょっとファッション的には70年代入ってます。
スニーカー系も90年代に出たモデルが復刻されまくってますね。初代エアマックスとエアマックス95。エアリフト、エアハラチも90年代。時代の徒花的なデコ丸スニーカーも復刻したし。
ついでに最近来る!と言われているナードスタイルも95年辺りの流行です。
あと、細かいところで言うと、数ヶ月前ですが、CMに出演する人がやたらとマッシュルームカットの時期があり、恐らく93年あたりのネオ・ネオ・モッズを意識したけど流行らなそうだと思ったのか、ゲスの極みのあの人を連想させるからなのか急激に見なくなりました。
そんな感じでどこまでも90年代のネタを次々に思い付く限りぶっ込んでいる、という状況は理解していただけましたでしょうか。
あとは、古着枠というのもあります。
ちょっと前に90年代に流行したホッケーシャツが来てる!と言うのがありましたが、90年代に服飾専門学校に行っていた妻によると、一部のヒップホップ系の人とかは着てたのかもしれないけど、実際に着てた人はほとんど見たことないとか。
おそらく、古着業界の在庫整理として無理やり流行ったことにしてたのではないでしょうか。
なぜなら、前にバイトしていた古着屋さんの倉庫でホッケーシャツとNBAタンクはクソでかいサイズのが死ぬほど在庫があったから。
あと、少し前にやたらとカラフルなスヌーピーとかのキャラ物スウェットがやたらと流行ってましたが、おそらくこれは一応80年代ネタ。
古着でスポンジボブ、タイニートゥーン、シンプソンズ辺り(キャラ自体は90年代か)のカラフルなのをめちゃくちゃたくさん値付けした記憶があります。
同じ死ぬほど在庫があるやつでも、ミリタリージャケットとかは年中売れるから良いですけど、
ホッケーシャツやキャラ物派手スウェットは、そのままだと全然売れないのでここぞとばかりに在庫整理のためにいけそうな年代のリバイバルの時に無理やりブームを作って色々紛れ込ませて売ろうとしてる感じがすごいしました。
スヌーピーのスウェットは当時の古着のオリジナルのやつ(70年代?)はめちゃくちゃ高い値段がついてましたが、ユニクロがライセンスを借りて古着のデザインまんまのコピーを激安で売るようになってて、酷いなあと思いました。
ちなみにユニクロとかコーエンは首のところのタグをシアーズのデザインのコピーをしてたり、かなり古着意識してます。
もう疲れたのでやめますが、そんなこんなで元ネタを知っていれば何が流行るか、もとい、業界が何を流行らせようとしているのかがわかる、と言う話でした。
元ネタはすでに出尽くしている
カルチャーを制するものはオシャレを制する、の話をより深めた記事だと思ってもらえばいいと思います。
この記事を書いている時点で2016年ですが、
今あなたが最新の流行だと思っている服やアイテムは既に昔流行ったものを再構成したものに過ぎません。
もうだいぶ前から、流行とは「リバイバル」と同じ意味になっており、業界もそれを隠そうとはしなくなってきました。
インターネットの影響だと思いますが、
昔は服好きやアパレル関係者、古着屋とか一部の人しか知らなかった、
このコーデにはコレ、といった「分かってる」アイテムという
元ネタをみんながあらかじめ共有している事が前提になってきました。
まるで、どれだけマニアックな元ネタを知っているか?がオシャレの深度になっているかのようです。
そういう意味でファッションは世界的には既にハイコンテクスト化が限界まで進んでいるのではないかと思います。
そして、ここまで極端なのは日本だけなのかもしれないですが、結果、「正解」とされる鉄板のブランドの特定のアイテムだけが一時的に価値を爆上げされ、当時のカルチャーをよく知らない人がほとんどなのに流行と言うだけでそれをわざわざ選ぶ。また、知らないうちに「復刻」を選んでいるという異常事態。
特に靴。
もっと言うと最近で言えば
ニューバランスとスタンスミス。
あとナイキの復刻。
今だ!と言わんばかりにアップデートしたものが再販され、ギリギリみんな買えるお求めやすい価格設定がされるため、わざわざ違うものを買う必要がなく、
どんなに新しいデザインを作っても、結局それらの劣化コピーとして見られてしまう。
一部の利便性で評価されたアイデア商品や本家の激安コピー版みたいのだけ、かろうじて受け入れられている状態ではないでしょうか。
服にしろ、本当に手堅いやつしか売れないですよね。
ただ元ネタである古着やミリタリー、スポーツウェアの美味しいところを残し、いかに余計な要素を入れずに今のサイジングとシルエットに直せるか、という事が期待されているだけ。
値段が高いイコールその分当時の再現度が高い。さらにディテールなどで「わかってる感」や「プレミア感」を無理やりアピールしたりして。
つまり、実質的にはもう
ファッションのためのデザインは死んでいます。もう進化しません。
誤魔化しながら、見ないようにしながら続いているけど、もう死んだのです。
オリジナルだけが価値がある。
次回は以上の事を詳しく書きます。
置き換えられるか?がポイント
皆さんは自分の服装について、なぜそのアイテムを選んだか?が説明できますか。
なんでもおしゃれとされているブランドやこのジャンルの服装はこのブランド!みたいな中から選ぶべきだと思って思考停止してませんか。
また、そのアイテムと同じように使えるアイテムをある程度の精度の差はあるにしても
安値でワゴンセールの中からもある程度精査して近いものを探すことが出来ますか?
また、選べたとしたらどこで判断して「同じように使える」と思いましたか?
これは、そのアイテムを着用することで狙ったバランスを作るために必要な要素がどこなのかがわかっている必要があります。
究極は自分でそのアイテムを作れるか、自炊できるか?ということです(実際には作れませんけど。作れる人がオリジナルのブランドを立ち上げるんでしょうね)
どんなバランスのどんな比率のどんな厚みのどんな色合いの物が必要か、が自分でわかっているということ。
例えばVANSのスリッポン。
石を投げたら当たるくらいその辺の人がみんな履いてますね。
最近の現行品の量販店で売ってるやつって、かかとに割と大きめのオフザウォールの赤いパッチがあると思うんですけど、これ完全に余計な要素で、著しくバランスを崩すと思うので、ないやつが欲しい。
そして、形が幅が広くて、さらにつま先が丸すぎて履いた感じが間延びしていてイヤなので、
もう少し幅が狭くて、つま先がもうほんのちょっとだけ細いのがいい。生地がちょっと薄くても良いから。
そして黒のスリッポンだと、下の白いソールの部分の高さがあり過ぎて白の分量が多過ぎ。
だからもう少し白の分量を減らしたい。
だけどある程度の甲の高さは担保したい。
ぺったんこ過ぎるのはイヤだ。
逆にこれらの条件を満たせばいいので、
余計な線とか変な生地の合わせ方とか1つだけシューレースのホールが色ついてるとか変なディテールがなければ全然ノーブランドとかでもOK。
ブランドうんぬんじゃなくて、
作りたいバランスがどんなものなのか?
の方が重要。見た目が全て。
これらはあくまで自分の中でしか成り立たず、他の人にあまり応用が効かないと思うので人には説明しにくいけど、自分はわかっている必要がある。
特にソールの白の分量とか本当に数ミリの違いでしかないので、気にしない人は気にしないと思うけど、自分の場合、明らかに全体のバランスを崩す要因になるとわかるから避ける。
おそらく白の分量は身長や脚の太さ、長さによってバランスが変わってくるはず。あとは地の色が何色か、白のソールとのコントラストがどのくらいつくのかでも変わると思う。
これをクリアした上で
コーディネートを考える必要がある。
まず体に合うものを探してから
コーディネートの詳細を考える。
合わせたいパンツとかが決まっているなら
パンツの数だけ比率がある。
でもいちいち違うのを買ってられないので、
自分の体に合わせればちょうど中間が取れる。
すると自然に自分に合うパンツの太さや丈なんかも決まってくる。
逆転の発想。
単純にスケーターとかストリートっぽい格好だからVANSでしょ、というのは短絡的。
別にいくらでも取り替えが効く、というのはわかっておくべきだと思います。
これを頭に入れておけば、何を選ぶにしても理由が明確なので、サイズさえ大きく間違えなければ、買ったのに使えないということは減りますし、節約しておしゃれに見せることが出来ます。
こだわりじゃなくて見た目で服が選べるようになります。
似合う似合わないの審査が厳しくなります。
例えば、頭の形に合ってない、身長や体型と合ってない、まゆげから頭のてっぺんまでの長さとのバランスがイマイチなのに猫も杓子もニューエラのFIFTYFIVEをかぶることはないんです。
カルチャーを制するものはおしゃれを制する
あえて断言すると、
何か文化的・思想的バックボーンを持っていない人のおしゃれは浅い。
いや、おしゃれな人知ってるよ、と言う人もいるかもしれないけど、それは流行りものが好きなだけでおしゃれじゃない。
流行りモノが好きな人イコールおしゃれな人ではない。
もっと言うと単純に「今っぽい外人みたいな見た目になりたい人」だと思う。
どうだ図星だろう。お前ら外人になりたくてしょうがないんだろう。だったらあんなにサングラスばっかりかけないだろう。
文化的・思想的バックボーンと言ってもそんなに大層なものではなく、
年を取ってもおしゃれな人はほとんど
若い頃に海外カルチャーの類、
音楽をはじめ、映画・スポーツ(サーフィン・スケートボード等の横ノリ系。音楽と密接に関係)、等にどっぷりハマった経験がある。
そして今もそのカルチャーをまあ、愛している。(現状のシーンが良いと思っているかは別として)
日本人でも現在もおしゃれの重鎮とされている人はモデルとかタレントではなく、昔の海外カルチャーに造詣が深い人達です。
当時の海外カルチャーの生き字引的に「本物」を見てきた人、またその時代に間に合わなくてもそのカルチャーに憧れ、後追いで研究しつつ現在のシーンに影響を与えている人達。いわゆる「文化オタク」な人達です。
だいたい皆、 中高生の時の流行なんかの影響で、ちょっとかじってみたりはするのだが、その時のままで止まっている人が大部分で、
一部の人がそのカルチャーを好きでい続け、より深く、その真髄を知ろうと色々勉強する。
昔まで遡ってそのカルチャーを研究したり、自分で本を読んだり映像を入手して調べたり。
実際に当時の映像や実物を探しまわってみたり、
実際に海外に行って同じライフスタイルで生活してみたり、憧れの人と一緒に仕事をしたり。
その結果、多分ですけど
◯これが好き!といった自分の好みや傾向と自分に似合うもの、というものがすり合わされて落ち着いてくる
◯「憧れ」というレベルから脱却し、そのカルチャーとの距離の取り方がうまくできるようになってくる。
意識した格好をしても、まんま中高生時代の格好やただのコスプレになってしまわないで、 今の流行やTPOにその好みやテイストをミックス出来るくらい、素材の一つとして消化できるようになる。
これが自然に無意識に出来るようになるので、結果的におしゃれになっている。
多分経済的余裕とかもあるんでしょうけど。
だから、おしゃれな人は音楽好きとか色々おしゃれなものを知ってる、とか言われる。
でも、文化オタクであってもおしゃれじゃない人達はもちろんいっぱいいるので断言はできません。
本当に良いもの、オリジナル、起源、元ネタを
知ってることは本当に大事だけど、「今」の空気や雰囲気に落とし込めない人はおしゃれではない。それはただのコスプレ。
ちなみに日本のカルチャー(サブカル)はどうでもいいです。日本のサブカルは海外のパクリ&劣化版なのでおしゃれになりたいなら無視してOK。例えば日本のバンドをいくらいっぱい知っていようとおしゃれにはなりません。
いずれ、海外の音楽とかに絞って服装との関連とか、単純に外人テンプレコスプレをして見た目だけオシャレっぽくすることの落とし穴などを書きたいと思います。