年齢差による若い人達のセンスへの共感度合いの考察
◯体感していること
実際はかなり個人差が大きいが、一般的に感じる印象。
◼︎30歳年齢が違うと、下の世代のセンスに共感しにくい場合が多い気がする。
◼︎今の70代辺りから上の世代から急激にwebやスマホが使えない人が増える印象。
以下の考察は、例えば70代女性から見た40代女性のセンス、でも成り立つと思っているが、ネットが使えない事も関係しているかもしれない。
◯考察
◼︎50代から見て20代のセンス
リバイバルでもないし、時代に対する感度や文化レベルが高くないと理解・共感できない。
ただし、逆に20代から見て50代のセンスはある程度は理解できる。(ただし共感はしない)
◼︎40代から見て20代のセンス
自分の20歳頃のリバイバルなので少し理解・共感できる。
例えば20歳前後で娘を産んだヤンママは娘の趣味を理解しやすい。
◼︎30代から見て20代のセンス
アンテナを張っていればまだ理解できる。
ただし、10〜20代で流行り物にどっぷり浸かっていたタイプの30代の場合、この辺でズレが生じる場合がある。逆に20代後半以降にお洒落に興味を持った人の方が20代の流行は受け入れやすいかも。
◼︎20代のセンス
→独自のものがなく、リバイバルやインフルエンサーの影響を受けがち。
インフルエンサーはただの広告塔だからリバイバルを体現している。
◼︎番外
「会話」になるとよりズレは顕著になる。
年代というよりこれは人によっての個人差が大きいが、ひとまわり(12歳前後?)年齢が違うと、趣味嗜好が似ていたり、共通の趣味等がないと会話がもたない場合も多い。
⭐︎備忘録
◻︎20年前のものがリバイバルする。
リバイバルは20年前のスタイルを現在の流行の流れに受け入れられやすいように余計な要素を削ぎ落としてアップデートしたもの。
最近はこのサイクルが少しずつ早まってきている。海外からの逆輸入的な現象も関係しており、リバイバルが続いている期間の長さは必然的に延長されていっている印象。
◯考察1
そもそも今の10〜20代にとっては80年代も90年代も変わらない。
下手するとざっくり「昭和」とか「バブル」みたいなくくりで認識している可能性も高い。
今の10代は2000年代初期も「昭和的な文化」だと思っている可能性がある。
◯考察2
リバイバル初期は仕掛ける側もその中でも何が流行るのかを探るモードになっている為、ベタで突飛で極端なものが広告などで目に触れやすい。
リバイバルが仕掛けられて数年経つと、多くの人が取り入れやすい保守的なスタイルで固定され、後はその中でマイナーチェンジの要素やバリエーションのアイテムが出るのみ。
女性ファッションだと、その要素が流行として提示され(出始める)てから2〜3年後にこの要素が女性のコンサバアイテムに本格的取り入れられる事で、体感レベルで本格的に流行っていると感じる。
この繰り返し。
⭐︎美容師さんに聞いた話
◻︎男性のファッションの流行は一概には言えないが、基本的には女性のファッションの後追い。
もちろん男女でアイテムそのものが違うので、一概には言えない。
◻︎髪型の流行はだいたい半年おき。
厳密に言うと最短で3ヶ月おき。
スタイルの作り方について
以下、服を着る事について。
①自分の所属を表す服
自分のライフスタイルや趣味、出自に合うものを着る。これが服の基本だと思う。
例えばビジネスマンはスーツを着るのがしっくりくるし、スケボーをやる人がスケーターの格好をするのが1番カッコいい。カウボーイはカウボーイの服を着るし、サーファーはサーフに適した服を着て、山男は山男の服を着る。
自分はどの文化圏に属するかの表明。
例えば他には貴族は貴族由来の、労働者階級は労働者階級の服装をするのが1番。また、田舎者は田舎風の服を着るのが正しいという考え方も。
アフリカンなら肌の色や似合う服に合う靴を履き、日本人なら和服に合う髪型をする。
自分がどんな生まれで、どんな文化圏で育ってきたか。日本は階級とか民族にわかりやすい差がほぼ無く、これらは意識しにくいと思うけど。
一つの例として、日本で売っているワイシャツに未だに煙草とかを入れる胸ポケットが着いているのはワークのディテールなので本来はNG。日本のビジネスマンの職域自体が曖昧なので分かりにくいが、そもそもビジネスマンは頭脳労働をするものであり、作業的な仕事をする必要は無いから。
(ウォール街で着てるとプロ失格、とみなされる事もあるというのはそういう理由だと思う)服を着慣れてくると何となくこの辺のデザインについて違和感を感じるようになると思う。(ポケットというものについて意識が向くようになってくる)
こういう所からも日本のアパレルは非常にデザイン的な理屈が曖昧だと思う。アメリカ的と言えば聞こえは良いのかもしれないが、日本のアパレルはアメリカのそれとは根本的に違うと思う。
(日本のは本来の合理化ではなくマーケティング的に俗情に忖度した結果のデザイン。ワイシャツの胸ポケットも単に男性の7割超が喫煙者だった時代の名残では?メイン顧客のおっさんがビジネスバッグにあれもこれも入れたい欲求に合わせてデザインされたポケットだらけのナイロンのビジネスバッグとかも)
②ファッション
スケボーをやらないのにスケーター風の格好をしたり、家と仕事場の往復しかしないのにマンパとゴアテックスのブーツを着用してたり、そのバンドを知らないのにツアー日程が背中にプリントしてあるバンドTを着たり、20年前っぽい親世代がちょっと複雑な気分になるコーディネートをするのはファッション。
これはこれで良い。それがファッションだから。
ファッションとはそういうもの。
洋服が持つ本来の意味を抜いてしまう事で単純にネタとして扱ってしまう事がファッションの本懐。メッセージが含まれる例として1番分かりやすいのは、街中で戦場の服であるミリタリージャケットを着る、60年代由来ならそしてそこに花を刺す、という着方。ラブアンドピースの象徴としてのメッセージ性を体現しているが、別にそんなメッセージ性が無かろうと街中でミリタリー服を着るのは今は特にファッションですら無いと思う。その時代において、
「何を無視するか」「何を貶めるか」を考える事
がファッションの第一義で、メッセージ性は後から勝手についてくる、適当にでっち上げられるものだと思う。ファッションはそんなものだと思う。
※この辺、SUKEBENINGEN氏の影響強いです。
③コスプレ
特定の人の①②を真似る。
菅田将暉の真似、あるいは意識をして
柄シャツを高円寺とか三軒茶屋の古着屋に探しにいく事とか。別に古着っぽいデザインの新品でも構わない。
これはファッションですら無い。
単純に「消費者」である。
■まとめ
流行りに合わせて②ファッションや③コスプレをやっていても自分のスタイルは作れない。
いくらお金をかけていても同じ。
特に年齢がいって、具体的には結婚して子供が出来た辺りからその辺が顕著になる。
スタイルは①〜②を自分のルックス(身体的バランス・顔の系統)を客観的な目線で観察しつつ、(かつ卑屈になったり、過度に背伸びしたりせずに)バランス良くマイペースにやっていく事で徐々に身につく。
①が仕事②がプライベートになる方も多いと思うが、どちらかをアウトソーシング(=自分で選ばない&マネキン買い)にしてしまうと、結局中途半端になりスタイルは身につかない。
仕事もプライベートも自分の一部なのだから、どちらも大事にしなければいけない。
ちなみに「モード」というのは②〜③の間に存在するものである。モードというのは「ファッションですら無い」もので、ある特定のファッションに既にホットな時期を過ぎてから後出し的に権威的なお墨付きを与える事で、あの手この手でセンスのない人に「ファッションする」言い訳を与えてあげるものである。この考え方が現在は主流になっていると思う。
その他非モードブランドや最近だとUNIQLO等は
①と②の間に存在しており、
そこまで分かりやすくファッションを標榜してはいないが、見立てや組み合わせによってファッションになり得る、というブランドとなる。
※だいぶデザイナーコラボとか「ファッションでございライン」が幅を利かせているようだが。
それを避けるためにそのブランドの古着を探す、というのもあるが、結局同じベクトルになってしまうので単純にレギュラーライン自体に見立ての幅があるブランドが評価されていると思う。匿名性があり、日本人にとってありふれている、という条件を満たす、故の、UNIQLO。
以上、自分のスタイルの作り方。
もう日本人というだけでオシャレは無理?
もういい加減みんな薄々気づいてきている事なのだが、日本人・韓国人・朝鮮人・中国人(要するにぱっと見が日本人っぽいタイプの顔)は
オシャレにはなれない。
定期的に韓国ファッションとかアジア系アゲの情報を流す事で若い子達のファッション消費を煽って延命しているけれども、
どう客観的に見てもここぞという時には
ファッション広告は白人を使う。
あまりに露骨過ぎるので言語化されてない事だが、アジア人については
1) 極端につり目のモデルを白人に「混ぜて」使う事で「多様性」っぽいブランドイメージを出す。
(この場合、エクスキューズのため黒人も一緒に使うことが多い)
2) モードブランドがあえてつり目のモデルやちょんまげみたいなモデルを使う事でオリエンタルさ=「未開の野蛮人みたいなクレイジーさ」を得るためだけに使う。
のどちらかである。
極端な話、アジア人にはそれしか求められていない。基本的にはアートとかも同じである。
そういうのにみんな気づき始めているから
サングラスをする人が増えているのだと思う。もうみんな日本人でいるのが嫌なのだ。
日本人でいたらファッションは楽しめない。
どんなに頑張っても欧米人と比べてファッションにおいては明らかに得られないものが多すぎる。鼻を高くしたところで、頭や顔そのものの全体のバランスや体型が全く違うのだから整形もあまり意味がない。Bボーイとかも含め、ただ欧米人の真似をして喜んでいられた時代ではなくなって来ている。
それなのになんでオシャレをするのか。
より自分が欧米人に近く見えるようなバランスを模索するためだろうか。
多分、いくつになっても心からオシャレを楽しんでいる人というのは「鏡を見ていない人」なのではないか。
服そのものだけを見て、
自分の着心地だけを感じて
自分の頭の中のイメージだけを観ていられる人。
そういう人がずっと服を買い続け、服が好きでいられる人なのではないか。
この多分ほんとうの服好きである人達は、
世の中で言うお洒落な人達とは実は全く違うジャンルの人種なんじゃないかと思うのである。
好きな服を着る事、それそのものが喜びである人達。
割とツイッターなどのSNSでこういう人達は可視化されていると思うが、自分としては本当なのかポーズなのかなんかよく分からなくて何となくスルーしている人達ではある。
彼らと、初めに書いたようなことを考える人(僕のような人)の間にはものすごく深い溝があるのではないかと思う。
服を着るという行為そのものは同じで、
ほぼ同じ土俵で評価されるにも関わらず
ここまで当人達の意識の違いがあるジャンルが他にどれだけあるだろうか。
僕の想像でしかないのだが、
多分そういう人達がいる限り、
ファッションは死なないのだと思う。
そしてなんだかとても僕は悔しいのである。
日本のアパレルは情弱相手の商売?
ショッピングモールなどでめちゃくちゃよく見る風景として、
愛想が悪いオシャレなだけの店員がただそこにいて流行り物のコピー商品のようなものが並んでいる。
子供が触ろうとすると親が「触っちゃダメ!」と言う。価格はファストファッションブランドとあまり変わらないか、やや高い。
今時なんのブランドでもないのに
ベタベタ触ってはいけないと認識されるものを買う人なんかいるんだろうか。
といつも思う。
結局日本のアパレルなんか
情弱相手のテキ屋商売なんだよなあ。
といつも思う。
店構えや内装がそれなりに金かけていても、
売ってるものはその時流行っている海外の何かのパチモノ、店員はそのカルチャーとなんの関係もない見た目だけのただの飾りと賑やかし。
だからもう何年もショッピングモールでふらっと入った店で何か買う気にほとんどなれない。
だからユニクロとか無地T通販とか出来るだけアノニマスなところで買い物をする。
でも本当は社畜が作ったり企画した服は買いたくないし
これこそ本来日本に必要なフェアトレードなのでは。
サービス残業を強いて人件費を削って作った海外のブランドのパチモノを売ってる店は選ばない、というのが一番意識の高いオシャレさんがやるべき事なのでは。
男女の思考の違いと男のおしゃれクライシス
ふと思ったことがある。
女性と男性の食べ物とファッションに対する考え方ってちょうど逆なんじゃないか。
女性
【食べ物】
別に好きじゃなくても身体に良いから、自分の体質を改善してくれると信じているという理由で頻繁に買ったり食べたりする。(いつも食べたりスーパーで買ったりしているが、別に好きってわけじゃない)
【服】
似合うとか似合わないとかではなく好きじゃないものは着たくないし、絶対買わない。故に試着しなくても気に入れば買う。
似合わないと思ったら歳のせいとか髪型のせいだと思う。見た目も含めてキャラというのを仕事の時は甘んじて受け入れるが、プライベートの時までは受け入れられない。
男性は逆で
【食べ物】
同じお金を使うのであれば、好きなもの(その時食べたいもの)を選んで食べたい。食で満足感を得たい。
【服】
こだわりはあるのだけど、
似合っていないと言われるのはイヤだし、ある程度第三者的な目線で見て、別に好きという程じゃなくても似合って、自分のキャラや身の丈に合ったジャンルやデザインの服をその時の予算感である程度消去法で買う。どうでもいいところは最低限しかお金をかけない。
(特に女性は日頃の抑圧されている程度とかストレスとか彼氏とか色々関係してくるとは思うけど)
大雑把に言って素の状態だとこんな感じの人が多い気がする。
これって普通に考えると
女の人の方がお金がかかるような気がするんだけど、お金をかけるポイントにあまり根拠がないような感じなんですよね。
会社だったら予算申請とか絶対通んない感じの。
しかし結婚して女性が家計を握ると男性には出費に対してやたらとその根拠を求める。
しかし女性ってひとつひとつの部分のこだわりに対する金額があまり高くないから、「雑費」「食費」みたいのに紛れ込ませる事ができる。安いからいいでしょ、みたいな話になる。
服もウィメンズは安いのがいくらでもあるからストレス発散的に試着せずに服を実店舗でもネットでも買っちゃう。
男はストレス発散で服を買うと言うよりは、見栄(みえ)とか頭の中のセルフイメージと実際の自分を近づけるためだったり、男性性に対しての自信のなさを払拭したいと思うのが服を買う強いモチベーションだったりするので、
歳を重ねるとこの辺と折り合いがつくようになってきて、自分の定番みたいのを長く着る、みたいな感じにシフトする。
でも実はそれと同時に失われていくものとして
単純に「自分が好きな事、感動したこと」をベースにものを選んだり、服を選んだりするのが難しくなっていく。
自分が何が好きなのか、何に感動するのかわからなくなっていく。
おっさんになると一部の人しかそれができていない気がする。
これはすごく悲しくて、男性で自分はファッションが好きだと思ってきた人、特にファッション以外に趣味というかプライドというか打ち込める好きな事を持っていない人にとっては鬱になりそうなくらい辛い事実だと思う。
ファッションは空っぽなのだ。
だからこそ、みんなカメラだの絵だの楽器だの料理だのいい歳をしてからやり始めるのではないか。
ここ最近、ずーっとメタレベルでその空っぽが怖いと思い始める人はどんどん増えている気がする。ファッション雑誌の特集とかも物欲を煽るというより、その後ろに自分の空っぽを埋めたい、という強迫観念を感じる。
やはりみんなその空っぽに耐えられないのだ。
ファッションは空っぽでいい、と服を買い続けられるのはやはり若い子達なのだ。
なんとなく、自分の好きを犠牲にしてきたツケがおっさんになってまわってきているような気がする。
なんとなくだけど、多分女性の多くはここまで深刻に考えないと思う。
もっとウジウジせずにスパッと根拠のない好きや嫌いで判断する気がする。
結局女性は偉大だし、男性にとって人生のパートナーとして女性はすごく大事で見習うべきところがいくつもある。
僕は男が1人でも生きていけるなんてウソだと思う。
女ならわかるけど。
買い物依存とオシャレの違い
特にスケーター・ストリート系のファッションをしているおっさんに多いのだが、
同ジャンルの中で別バージョン、幅を広げようとし過ぎて、ただコラボ物とかコレクションしてるだけというかただの買い物依存症みたいになってる人。
最近、90年代リバイバルでSTUSSYとかスト系のベタなのが流行っているからそれに便乗してるのか知らないが、若い子に混じってチラホラ見る。
そういう人に限って本当はスケーターじゃなかったり(やってたりしてもちょっとかじっただけとか初心者とか)ヒップホップをやってなかったり、ダンスをやってなかったりする。
本来、これらを本気でやってる人の場合、インスタ映え、WEAR映えみたいなそんなにトッピング過多のごちゃごちゃした格好しないと思う。
なぜなら動きやすくないから。
ちゃんとそのジャンルをやっている人の場合、その人にちょうどいい具合のバランスになっていく。(コーディネート上、ましてや自撮りする時によく見えるバランスではなく、スケートをする時や踊ったりする時にベストである袖丈や裾丈、パンツのワタリの太さのバランス。アウトドア関係もこれが言える。例えばパタゴニアの着こなしは単純に流行りで着てる人と、年間半分くらい山にいるような人ではそのバランスや色遣いも違うはずである。
ブランドだと
ワコマリアとかクーティーはルード系の丘ブランドだと思ってよい。
丘ギャング。
オシャレに見せるためには、
外人要素を上げるために、海外カルチャーのコスプレをするのが近道ではあるが、
それはある程度、強いて言うならショップ店員レベル止まりであり、それ以上の本当のカッコよさを得ようとするなら、そのカルチャーにどっぷりハマらないと得られないのである。
そこが中途半端だと、丘サーファー、丘スケーター、丘ラッパー、のまま無駄に買い物をし続けるだけの買い物中毒者になるだけである。まあ、これはだいたい結婚して子供でもできれば妻に色々言われるのでグッと買う量は減るのだが。はっきりそれは無駄遣い、と言ってくれる人ができるからである。
いい加減、基本的にこういった人達がブランドのいいお客さん(金ヅル・養分)だと言うことを理解した方が良い。
本当にラップをやり続けたり、スケートを何10年もやってたりすれば自然と、自分と服との距離がわかるようになり、自分にしっくりくる色、サイズやバランス、ブランドなどがわかるようになる、結局丘〇〇のままだから、この辺がいつまでたってもわからないのである。その結果スケーターならスケーターという括りの中で買い物を繰り返すようになるのである。結局スケーターでもないのに何がしたいの?という格好になっていく。
無駄に金があるおっさんとかこのパターンが本当に多い。
平野歩夢君の服装を見てほしい。
カッコいいとはああいう事である。オシャレに見られたいとか目立つための格好じゃなく、普通に本人に似合う格好だと思う。
彼の服装を見てごちゃごちゃしてるなとかやりすぎだなとか1度でも思うだろうか。
オシャレとはステューシーのコラボとかレアなアイテムをいっぱい持ってる事じゃないのである。
まぁ彼も持ってるかもしれんけど。
買い物ばっかりしてる人達は似合う・似合わないにもっと厳しくなった方がいい。
オタクとネルシャツと海外カルチャー・サブカル③
【グランジ(90年代前半〜)】
90年代リバイバルということもあり、
2018年現在最も引用されていると思われる。
最近の袖が長い、上ズルズルのサイジングはそもそもグランジ由来でしょう。
アイテム単位で言っても最近の流行のパジャマシャツやオーバーサイズのアウターをガウン的に羽織るのもこれが元ネタです。
グランジについては日本人が大好きなカート・コバーンのコスプレのグランジ
こういうやつね。
と、モード寄りのグランジがあります。
長髪も含めてスタイル的には70年代のニール・ヤングに近いものを感じますが、
単純に70年代風ではなく、プリントネルとかのペラペラでズルズルなやつをサーマルとかバンドTとかと前を開けて重ね着して、クラッシュデニムと合わせるのがポイント。
パッチワークとかリメイク系デニムも雰囲気です。
それに加えて奇抜な髪色とか豹柄をはじめとしたキッチュな柄物とかフォックス型サングラスとかのチープなイメージも。
靴はニール・ヤングならマウンテンブーツとか無骨なアウトドアな感じですが、カートはやっぱりスニーカー(もっと言うとジャック・パーセル黒)ですね。
モード系グランジだと、
90年代当時はマーク・ジェイコブス×ケイト・モスなんかの、チェックシャツやらチェックのスカートを重ねて民族衣装みたいにしてコンバットブーツを履いてコーデュロイアイテムとか革ジャンとか
粗野でチープなイメージやあるいはヒッピーっぽさを打ち出したもの。
あとニットのお下げ髪ポンポン帽みたいのね。
あれはカート・コバーンもかぶってた気がする。
ハリウッドスターなんかでも当時はグランジ本来の汚い、薄汚れたという意味合いが強い、髪の毛を洗ってないベタッとした感じやビーチサンダルなんかのチープで汚いイメージの格好をしていたと思います。
最近のいわゆるネオ・グランジ?だと
洗練されて着丈が長いチェックネルをスキニーやクラッシュデニムと合わせ、ドクターマーチンなど編み上げ系ブーツなどを使って縦長シルエットを作り、ハットを被る、みたいな感じでしょうか。
レディースで最近流行った着丈長いガウンみたいなチェックシャツはこれですよね。
グランジは根底にアンチ・ファッションの考え方があるのでいわゆる日本のオタクのファッションと紙一重な所もありますが、
日本のオタクのように坊ちゃん刈りにネルシャツとデニムを着てれば良い、というような「大人しい」服の着方ではなく、大胆なサイジングや小物遣い、アイテムのチョイスでバナルさやキッチュさを志向していくことでグランジ独特のストリートっぽさが出ると思います。
だからほらね、色々なオシャレ指南サイトが提唱してるようにサイズがジャストなネルシャツを他をモノトーンにして革靴履いて大人っぽく着ても全然かっこよくないでしょ?
そんなわけで長々とお送りしてきましたが、
ワークアイテムである「ネルシャツ」はあらゆるファッションにがっつり絡んでいる、ということは理解していただけましたでしょうか。
そしてMB(メンズバイヤー)あたりから端を発するきれい目7カジュアル3の脱オタ量産型コーディネートがなんでバカにされるかわかりましたでしょうか。
それらが単純に「大人しいオタクのまま」で「よそいきなキレイ目の格好で街に行きたいキョロ充」向けの幅の狭ーい服の選び方のルールであることがわかりましたでしょうか。
結局これさえ着とけば鉄板とかこのシルエットなら安心とか、量産型が本質的なファッションとか言ってる人はおしゃれじゃないんですよ。
絶対こうしたスタイルを知ってないといけない訳じゃないと思うんですが、ファッションはどうしても元ネタがあるので、
今流行ってるものの受け売りで、その場その場で流行りの格好を次から次へとしてるだけだと、少しでもテンプレから外れた格好をしようとするとふとした小物遣いなんかで、分かってない浅ーい感じが出ちゃうんですよね。
その人の本当のおしゃれさをわかりやすく見分ける方法としては、帽子を選ばせて被らせてみればその人のレベルがわかります。